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2013(平成25年度の3年生)
九州
位置 |
県 |
学校名 |
選 手 |
学年 |
サイズ |
投打 |
投手 |
福岡 |
小倉工 |
笹嶋 慎一郎 |
3 |
182 80 |
右右 |
佐賀 |
有田工 |
古川 侑利 |
3 |
178 77 |
右右 |
長崎 |
創成館 |
大野 拓麻 |
3 |
177 70 |
右右 |
長崎日大 |
谷川 文仁 |
3 |
183 76 |
右左 |
熊本 |
済々黌 |
大竹 耕太郎 |
3 |
182 73 |
左左 |
熊本工 |
山下 滉太 |
3 |
170 58 |
左左 |
文徳 |
本田 建都 |
3 |
182 76 |
右右 |
大分 |
大分雄城台 |
渡辺 大地 |
3 |
176 73 |
右右 |
大分商 |
笠谷 俊介 |
3 |
172 54 |
左左 |
宮崎 |
宮崎日大 |
甲斐 翼 |
3 |
188 75 |
左左 |
宮崎西 |
戸高 達郎 |
3 |
175 68 |
右左 |
鹿児島 |
鹿児島情報 |
二木 康太 |
3 |
183 68 |
右右 |
尚志館 |
吉国 拓哉 |
3 |
176 84 |
右右 |
沖縄 |
興南 |
有銘 昭晋 |
3 |
181 75 |
右右 |
沖縄尚学 |
比嘉 健一朗 |
3 |
170 59 |
左左 |
北山 |
平良 拳太郎 |
3 |
180 70 |
右右 |
真和志 |
譜久村 誠悟 |
3 |
172 80 |
右右 |
捕手 |
鹿児島 |
樟南 |
緒方 壮助 |
3 |
178 73 |
右右 |
内野手 |
佐賀 |
佐賀学園 |
原口 大陸 |
3 |
180 75 |
右右 |
長崎 |
創成館 |
小島 正直 |
3 |
177 72 |
右右 |
熊本 |
九州学院 |
太田 晃平 |
3 |
178 75 |
右右 |
宮崎 |
延岡学園 |
岩重 章仁 |
3 |
180 78 |
右右 |
鹿児島 |
尚志館 |
今吉 浩平 |
3 |
179 79 |
右右 |
沖縄 |
沖縄尚学 |
諸見里 匠 |
3 |
170 66 |
右右 |
外野手 |
熊本 |
熊本工 |
松下 凌磨 |
3 |
178 70 |
右左 |
鹿児島 |
鹿児島実 |
横田 慎太郎 |
3 |
183 73 |
左左 |
【☆の数だけ彗星度】
★の数:一般的に知名度がある
☆の数:一般的に知名度が少なく彗星のごとく現れる可能性を秘めた逸材度
★★★★甲子園ベスト4以上
★★★☆甲子園出場
★★☆☆九州大会出場
★☆☆☆県大会ベスト8以上
☆☆☆☆県大会ベスト8未満
※知名度、彗星度と☆の数の多さはあくまで全国的な知名度を表しているので選手の評価とは関係ありません。 |
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興南熱闘の足跡 |
『海のかなたの甲子園』
(沖縄・本土復帰への祈りと52年目の全国制覇)
2010年夏、沖縄・興南高校による県勢初の甲子園優勝。この快挙を、天国で誰よりも喜んでいるであろう男・国場幸輝。沖縄野球発展の最大の功労者だが、89年3月、すでにこの世を去っている。本土復帰より前
1958年、米軍統治下の沖縄代表として首里高校ナインは初めて甲子園の土を踏んだ。あれから52年後の2010年夏、深紅の優勝旗が初めて沖縄に持ち帰られた─。
第1章 二〇一〇年夏/第2章 カミッチーという男/第3章 米軍と野球第4章
本土との絆/第5章 夢の沖縄代表/第6章 初めての甲子園/第7章 託された願い
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